カプリ島

マリーナ・グランデ


 イスキア島からトンボ帰りでナポリに戻り、すぐにカプリ島行きの船に乗船する。
イスキアへ行く時は舳先に乗ったが、今度は船尾のベンチに座る。 僕らがベンチに座っていると、日本人のカップルが乗船してきた。 船が港を出て暫くした頃、どちらとも無くこのカップルと会話が始まり、暫くはお互いの旅の事を話していたが、この二人の言葉が関西弁のようなので僕は何気なく聞いてみた「関西の人?」。
 思った通り、大阪に住んでいると言う。
男の方(Nさん)は中肉中背で色黒のがっちりした体格。 女性はほっそりした、エレガントな感じの、そうだな、どっかのお嬢さんって感じの人だ。 喋り方も、僕ら男達のそれとは違って、どっか上品な感じがする。 男は学校の先生で、この旅は新婚旅行だそうだ。
 「大阪か、僕は淡路島の洲本やで。」と僕が言う。
 「えっ、洲本? 僕も洲本出身やけど、洲本のどの辺?」
何と、この先生の実家と僕の家は歩いて10分程の所で、僕もしょっちゅう通る場所だ。
僕が柳学園高校(普通科)の生徒だって事を話すと、高校生だって事に相当驚いたようで、その後「信玄さん知ってるよね。」と聞いてきた。 そりゃあ知ってますよ「英語の先生や。」と僕が答える。
こんな所で郷里の人、しかも、僕が英語を教えて貰っている先生の知り合いと会うとは・・・・・。
 楽しい話を5人でする内、カプリ島が段々と近づいて来た。
近づいてくる島を見ていて僕はつくずく島育ちで良かったと思った。 電車や車であっさりと着いたのではあまりにもあっけない。 こうやって波に揺られながら、徐々に島が近づいてくるって感じは、やっぱいいよね。 

 港の中に入った船は、ゆっくりと桟橋に着岸する。
さあ、こんどは本当にカプリへ来たぞ。 狭い港前の広場は何だか海賊の基地にでも迷い込んだような感じ。 上陸した所に果物屋さんの屋台があって、かわいい女の子が店番をしている。 写真を撮らせて貰うと、紙切れに彼女の住所を書いて渡してくれた。 「ここに写真を送って欲しい。」ってことのようだ。 リンゴを一個貰った。 
 カプリ島はカプリ地区とアナ・カプリ地区の二つに分けられ、両方の町は山の上にあるから、ここからはバスかケーブルカーで行かねばならない。 バスと言ってもとっても小さなバスで、マイクロバスよりまだ小さくて、それも古そう。 真っ赤な車体でしかもボンネットバス(今は違うよ。)。 でも、僕らの目はケーブルカーの方に飛んでいた。 ケーブルカーなんて今まで乗った事が無かったから、これで上へ行く事にした。 Nさん達もケーブルカーで上に行く事にすると言う。 いよいよケーブルカーが駅に入ってくると、確かに、何かの本で見た通り、急坂にそのままの傾斜で車体が乗っているので、車内の通路は階段のようになっている。 椅子の部分は地面と水平になっているので、座ってしまえば普通の乗り物と変わらない・・・・でも、何だかヘン。 ワクワクワク・・・・・この旅で何回ワクワクしたろうか。 多分、僕のこれまでの生涯で一番ワクワクが多かったように思う。
 
港の少女 ケーブルカー ミニバス 写真をクリックしてね

マリーナ・ピッコラ

 急角度の斜面をケーブルカーは一気に登っていく。
スイスで乗った登山鉄道に比べ遙かに急な斜面を登っている筈だが、あんまり易々と登って行くのでこんな急斜面を登っている気がしない。 やっぱりこんな急斜面を登るなら、あのラックレールの音を聞かないと、何だか物足りない。 そんな僕の思いをよそに、マリーナ・グランデがどんどん眼下に小さくなっていく。
 ケーブル駅の前にはウンベルト一世広場と言う小さな広場があり、サント・ステファノ教会をはじめ町の建物はちょっとアラブ風な感じ。 やっぱりどっか、海賊の基地のような錯覚をしてしまいそうだ。 ここで、Nさん夫婦と別れ、まずは今夜の寝場所を探さねばならない。 まあ、ここなら幾らでも塒はあるからあえて探すまでも無いのだけど、どうせなら海辺がいいと言うので、どっかで聞いてみる事にした。
 広場の近くに両替所があるので、そこへ3人で行ってみた。
白壁の小さな部屋の中、カウンターの向こうに綺麗な女性がいる。 僕らは彼女に片言の英語で、今夜のねぐらの事を聞いてみた。 彼女が言うには、広場の端にあるバス停でバスに乗ってカプリ・ビーチ(マリーナ・ピッコラの事)へ行けば、インデアン・ハウスって小屋があるからそこなら最適だ・・・・と言っているらしい。

 このままキスリングザックを背負ってこの島で行動するのは大変なので、荷物預かり所かコインロッカーを探す。 広場から少し歩いた所にそれはあった。 有料トイレと預かり所が一緒になったような所で、中に入ると、お年寄りの夫婦が椅子に座っている。 これが又、陽気だ。 貴重品とカメラ、寝袋をザックから取り出してザックを預ける。 この夫婦の娘なのか、僕位の女の子が出てきて僕らの話に加わる。 彼女もまた陽気な子だ。 僕が持っているカメラを見て、写真を撮ってくれと言うので、いいよって言うと、彼女がついておいでって僕を外に誘い出す。
 連れてかれたのは、この預かり所の近くで、マリーナ・グランデを見下ろせる展望台のような所だった。
ここからの景色は素晴らしい・・・・と、彼女が手すりにもたれたり色々とポーズを撮ってくれる。 いいよって言ったはいいが、結局6枚も写真を撮った。 預かり所に戻ると、彼女の家だろうか、住所を紙に書いて手渡してくれた。 写真をここへ送って欲しいと言う事らしい。

 両替所のお姉さんに教えられたバス停に行く。
バスはこの島のサイズに合わせてか、随分と小さな物だ。
ボンネットバスで真っ赤な車体、乗ってみると中も狭いし、質素な雰囲気に比例して乗り心地も悪そうだ。 でも、こりゃあいい。 乗車して待っていると、小太りの運転手がやって来て、さあいよいよ出発。
 思った通り、なかなか味のあるエンジン音(いや騒音)と、昔、親戚のおっさんに乗せてもらったミゼットのような凄い乗り心地で狭いカプリの道をブンブン飛ばして行く。 山の上の方を暫くアナ・カプリ方向に走り、その内左折してからは下り坂に入り、海の方に向かってうねうねと曲がりながらどんどん高度を下げて行く。 窓からは緑の中に白い家が点々と見えとても綺麗だ。 この島がローマ時代からの避暑地、別荘地だって事がよく理解出来る。 

 後ろは急斜面の山、前は地中海に面した岩場にちっちゃな村?がある。
半島のように海に突き出した岩場の根本に、両替所のお姉さんが教えてくれたインデアン・ハウスがある。
藁葺きの屋根が何本かの木の柱で立っている掘っ立て小屋と言うか、運動会などで使うテントのような形をしている。 この岩場の横に、とってもちっちゃなビーチがある。
 海の色が・・・・・エメラルド・グリーン。
早速ジーパンを膝まで捲り上げて海に入ってみる。
3人共大はしゃぎで暫く戯れていたが、腹が減ってきた。 まだまだ明るいが、日本の時間で言えばもうそろそろ夕食時なのだ。
 
 バス停の近く、インデアン・ハウスから山の方に少し上がった所にあるレストランで夕食にする。
外に置かれたテーブルに席を取り、僕はスパゲティーのホワイトソースを頼んだ。 食事が出てくるまで、3人で話していると、横のテーブルで食事していた白人が僕らに話しかけてきた。 彼も僕らのテーブルに加わり話が始まった。 小村さんと田中さんの通訳によれば、この白人はアメリカ人で、兵役拒否で海外を放浪していると言う。 僕がイタリアの後行く予定のギリシャからやって来たと言うから、ギリシャの話も聞いた。 「海の色がね、ほんとにブルーなんだ。 地中海の海の色より、俺は絶対にあっちの方がいいぜ。」ってな事を言ってるらしい。 あのエメラルド・グリーンの海でもこれだけ感動してるのに、エーゲ海はもっと綺麗だって・・・・・だったら、もっと早くギリシャに渡って、どっかの小島にでも行けば良かったかな。
 生まれて初めてのホワイト・ソースがかかったスパゲティーを食べていると、どこからかフラメンコのメロディーが風に乗って聞こえて来るではないか。 どうやらスピーカーからではなく、生の演奏をやっているらしい。