マルセイユ

 列車は定刻を少しだけ過ぎてマルセイユのサン・シャルル駅に到着した。
コの字型の駅舎のへこんだ部分に何本かの線路が進入している、欧州ではよくある行止まり式の駅だが、パリの東駅や北駅、ミラノの中央駅なんかに比べるとずっと小さな駅だ。 ホームに降りて、まずはル・ミストラルの発車時刻を確認しとかなきゃあ、何のためにここまでやって来たのか分からない。 時刻表のボード上からLe Mistralの文字を探し、ニース向けの部分を見ると20:11発となっている。 ニースには22:25に着くから、ニースでジェノバ行きに乗り換えてジェノバ経由でローマに入れば宿賃を一泊分節約出来る。 
 早速駅のリザベイションへ行って予約を入れようとしたが、ここでも「ノー・リザーブ」との答え。
このノー・リザーブって言葉が、予約は必要無いって意味なのか、それとも席がありませんって意味なのか迷う所だが、ここは今まで通り予約不要と解釈する。 荷物をロッカーに預け、財布とカメラだけを持って早速駅の外に出てみる。

 この街を歩くのに地図は要らない。
と言って、当たり前の話だけど以前この街に来た事があるわけでもないし、街の地理が完璧に頭に入ってる訳でもない。 ただ、港町ってのは海を境に海側と街の側、二つに大きく分けられるから万が一、道に迷っても何とかなるもんだ。 それに、島育ちの僕がここ暫く磯の臭いを嗅いでない事もあって、海に行きたかった。 海に出るのに迷うことはまず無いからね。 
 駅を出てぶらぶらと歩いていると見覚えのある物が見えてきた。
あれっ、パリ・・・・いやいや、そんな筈はない、パリのエトワール凱旋門のようにも見えるがサイズが全然違う。 いやあ、知らなかった。 マルセイユの事も少しは調べていたつもりだけど、凱旋門の事はまったく知らなかった。
 パリの物と比べるとちょっと薄汚い感じの凱旋門だけど、ひょっとして、この凱旋門をくぐってそのまんま真っ直ぐ進んだ先には、あのエトワール凱旋門があるのかな? まあ、そんなことはどうでもいいけど、まずは海辺に出たいのでそのまま、海の方向と思われる方向にさらに歩く。
 知らない街を地図無しで歩く時、下手に小道を曲がったりして気ままに歩くととんでもない方向に進んでしまう事がある。 パリでもローザンヌでも経験済みなので、極力、海の方角と思う方向に真っ直ぐ歩いてはいたが、大きな通りを横切った先から何やら小さな小道の迷路のような所に入ったらしい。 真っ直ぐ歩こうにも小さな道がうねうねとあって、ついつい何かに牽かれて訳の分からない方向に歩を進めてしまう。 この路地を曲がった先に何があるんやろ? と思うとふらふら、いや待て、先に海だ・・・・と思っては又軌道修正。 いけないいけない、この生活臭の一杯漂う空間に入ったのが運の尽きだ・・・・・・って、こんな町並み、大好きなんだもんなあ。 なんだか急にモンパルナスの安ホテル界隈を思い出してしまった。 「あの女将さん、今頃何してるんやろ。」 なんだか、あのホテルにいた頃が随分昔のように思えてきた。 ちょっと前の話だのに。
 少し広い通りに出ると目前に教会が見えた。
この教会は知っている。 サント・マリー・マジョール教会、とするともう海の際まで来ている。 あの教会の向こうはもう地中海の筈だ。 教会を過ぎると、多分、貨車のためのものか、レールが走っていてその向こうにはヤードがある。 僕は左手の方に進路を取って海沿いに歩いて行く。
 単に海辺に出るのなら、教会から旧港(入り江になっている)の方に歩けばもっと早く、簡単に行けた筈なのだが、僕はいきなり地中海に出て見たかったので、わざわざこんな歩き方をした訳だ。

 地中海の中にイフ島が見える。

かの有名な小説『モンテ・クリスト伯』で有名になった要塞(監獄として使われていたらしい)が、陽光の下、明るい灰色に輝いて見える。 旧港の入り口にはサン・ジャン要塞(僕が立っている側)と、その対岸にサン・ニコラ要塞があって、イフ島の要塞も含めてこの港がいかに重要だったか、何となく解る気がする。
 歩き疲れたので、旧港の入り江沿いにある石積み堤防に座って一休み。
陽が強いので帽子か日傘が欲しい位だ。 パリやベルンの寒さが嘘のよう。
ポカーンと船の出入りを見ていると、僕が座っている下の方で僕位の男が3人ほどで潜りをやっている。 それはいいんだが、よく見ると一人の野郎が右手に水中銃を持っているじゃないか。 魚か蟹でも撃つのかと思っていたら、ふざけながら、一緒にいる仲間の方に向けて銃を発射した。
 心臓が止まる思いがしたね、これには。
「危ない」・・・・思わず叫んでしまったが、その銛は短いロープで結ばれていて、撃った野郎から2m程の所でスッと止まった。 その野郎がこっちを向いて、水中銃と銛を両手に持って僕の方に向かって何やら説明しているようだ。 「大丈夫、ロープで結んであるから心配無い。」とでも言ってるようだ。  ちゃうちゃう、ちゃいまんがなこのどアホ。 万一、ロープが外れたり切れたりでもしたらどないすんねん。 余計な心配かもしれんけど、銃は玩具でも水中銃でも何でも、絶対に人に向けるもんじゃあありまへん。 流石に、この一声から、人に向けて撃つことはしなくなったものの、人の心配をよそにその連中、僕がのんびり休んでる間中、水中銃を振り回して遊んでいた。 
 休んでいる間に色んな事を思った。
マルセイユと言えば日本郵船が昔から航路を持っていて、多くの有名人が日本からこの航路でもって欧州にやって来た。 確か、あの小沢征爾もこの航路で欧州に入って、その後、スクーターで欧州を旅したのだった。
神戸港で外国船を見るたび、あの船もマルセイユへ行くのかなあなんて想像をしたものだし、僕にとって最初に憧れた地が多分、マルセイユだったようにも思う。 日本からはるばる船旅をしてきて、多分最初に見るのがあのイフ島の要塞で、それからサン・ジャン要塞とサン・ニコラ要塞、 そうそう、高い丘から見下ろすように建っているファロ宮殿が、そして旧港に入れば入り江に係留されている多くの漁船やヨット、街の奥、丘の上にはノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ教会(右上写真の、丘の上に建っている教会)が迎えてくれる。 
 
 どれ位のんびりしていたのだろう。
重い腰を上げて、入り江沿いにある道をぶらりと旧港の奥の方に向かって歩き出す。
道沿いにはカフェやレストランが並んでいるが、丁度喉が渇いて来たのでその中の一軒に入ってコーラを注文する。 列車までの時間を考えると、ガイドブックを持って来れば良かったと少しは後悔したが、今からロッカーまで取りに帰るのも馬鹿らしいし、またロッカー代がかかってしまう。 パリで残した小銭しかフランは残ってないから、夕食用に残しとかなきゃならない。 お金の事を言わなければ、ガイドブックなんか無くてもイフ島行きの船に乗ってあの監獄見学も悪くは無いが、ここはまあ辛抱所かな。 何せ、この先イタリアへ行けばローマへ行きたいし、ナポリからカプリ島、ソレント経由でポンペイは外す訳に行かない。 列車はユーレイルパスがあるものの、カプリ島へは船賃が絶対必要やからね。
 十分休んだ後、いつもの調子で本屋さん、そして玩具屋を見つけてプラモデルを色々見て、それからやっぱり又ぞろ下町っぽい風景を求めて町中をふらふら・・・・・・何でマルセイユまで来てとも思うが、未知の町で、僕と同じような人達が普通に生活している生活空間を散策するのはとても楽しい。 スーパーマーケットに入ったり、小さな何でもない店に入ってみたりすると色んな物や人のやりとりから、その土地の事が見えてきて楽しいんだよね。

 とっても長く感じる時間を十分過ぎるほど町中で過ごしてから、再び駅に戻ってきた。
まだ町に出る時間はあるけど、こうやって駅でのんびりするのも悪くはない。 出入りする列車や行き交う人を見たりしてるだけで面白いし、本当に時たま入る構内放送の響きが堪らなく旅情を掻き立ててくれる。
 長いホームの半分位までは駅のドーム天井が覆っているが、その先は青天井。
すでに陽は傾きかけていて、外に露出したホームには薄いオレンジ色の夕日の光が落ちている。
思えばこの、僕にとっての始めての一人旅ではこんな風な無駄と思えるような時間が結構あったな。 そりゃあそうだ、何せお金のない貧乏旅行だからね、スケジュールに追いかけられる事もなく、時間だけはどこでも十分にある。 さっき思った「なんでヨーロッパまで来てこんな事を」って事も思うけど、まあ、地球の裏に居るんだって思うだけでも十分過ぎる程の満足感がある。 

ル・ミストラル

 8時前、いよいよ僕が待っているホームに「デコ八」に牽引された高級列車、ル・ミストラルが轟音と共に入ってきた。 デコ八はミストラルを牽引している電気機関車の事で、何かの本でそんなあだ名が付いていた。 別にこのミストラルだけを牽引している訳でも無いと思うが、ちょうどブロックを横から見たようなこの機関車を見ているとこのあだ名もまんざらでは無さそうだ。 コインロッカーに行って荷物を取り出し、背中に背負うと僕は憧れの列車に向かって歩き出した。
 飛行機のそれのように頑丈そうなドアが開き、タラップが降りると早速ミストラルに乗り込んだ。
豪華な通路を空いているコンパートメントを探しながら歩いていると、前から車掌がやって来た。 「ミー ノーリザベイション. シートリザーブ プリーズ」とまあ、この車掌に言うと切符を見せろとでも言ってるのだろうか。 ポケットから財布を出して、中に入れてあるユーレイル・パスを見せるとその場で予約完了。 またまた、紙切れにシート番号を書いただけ・・・・・ええなあ、この大らかさ、いい加減さ。
 書かれた先のコンパートメントへ行くと、白人の男女が向かい合って座っていた。
僕はザックを下ろして棚に寝かせるように載せ席についた。 二人とも本を読んでいたので判らなかったが、その内二言三言話している様子から夫婦のように見える。 飛行機と違い、向かい合った席に、しかもコンパートメントのような狭い空間に同席してしかも、言葉が通じないってのはちょっと勝手が悪い。 何か話したいが、言葉は通じない上に顔を合わしてすぐではきっかけも見えない。

 その内、列車はゆっくりと動き出した。
ヨーロッパに来るまでに僕が乗った事のある電車と言えば、いや乗ったことがある路線と言えば明石と京都間位のもので、それ以外となると中学の修学旅行で神戸から東京まで夜行に乗った位なものか・・・・そうそう、忘れちゃあなりません、小学生の頃は洲本と福良間に電車が走ってました。 神戸や明石の駅で列車(電気機関車に牽引される車両)、特に雷鳥なんかを見ると「乗りたいなあ」と憧れていたものだ。 それがどうだろう、こんなに早く列車に乗る機会が来るとは、それもヨーロッパのTEEだ。
 フランス語で「空っ風」を意味するル・ミストラルは、一両当たり110tもの重量をものともせずぐんぐん速度を上げて行く。 豪華なシートに体を沈め、静かな車内で目を閉じているととても列車に乗っている気がしない。
 それはそうと、腹が減ってきた。
と言って、車内のレストランへ行くなんてこたあ僕の懐具合ではとても出来ない事。
しゃあない。 こんな時の為に取ってあった奥の手、日本から持ってきたカップヌードルを取り出す。 何だか容器が少し変形しているようにも見えるが、味に変わりはないやろ。 本当は良くない事とは承知しているものの、腹が減っては仕方がない。 カップ麺はあっても、湯が無ければ話が始まらない。 湯を貰うには・・・・・行くところは一つしかないね。
 食堂車へ行く途中、コンパートメントを覗きながら歩いていると、何人かの東洋人がいるらしい。
あるコンパートメントに眼鏡を掛けてて、少し布施明に似たような東洋人がいて僕の方を見ている。 その人がいるコンパートメントを過ぎた時、後ろでコンパートメントの扉が開く音がした。 っと、「日本の方ですよね」と呼び止められた。 「そやけど」と僕。 「ひょっとして、そのカップヌードルの湯を貰いに行くんじゃないですか?」 おやおや、同じ事を考えてた人がも一人いたらしい。 「一緒に行きましょか」と僕。
 一人で行くより二人の方が気は楽だ。
赤信号、みんなで渡れば・・・・・・とは言うものの、流石にこんな列車の食堂車へ行って、湯を下さいってのはちょっと気が引ける。 二人で歩きながら、英語で頼むか日本語で頼むか、はてさてどう頼むか相談してみたものの、結局「Give me hot water」と言いながら、蓋を開けたカップヌードルをウエイターに見せた。
そこまでは良かったが、このウエイター、英語が出来ない筈は無いのに僕らが何をして貰いたいのか判らないらしい。 仕方がない、蓋の中にある麺を指さしながら「ヌードルやヌードル、解らんかなあ、ラーメンやねんな、これに湯、ホットウオーター掛けたら食べれんねん。」と説明するが理解して貰えない。 
 ちょっと待ってってジェスチャーをして、そのウエイターが厨房に消えたが、すぐにシェフらしいおじさんを連れてやって来た。 同じ事を言うと、やっと解ったのか、そのおじさんが僕らのカップヌードルを持って厨房に消えた。 ちょっとして、これでいいかって表情でカップヌードルを返してくれた。 持った途端、「メルシー」・・・・湯の暖かみが指に伝わって来る。 蓋をして席に持って返り、割り箸を割って蓋を開けると美味しい香りが腸に染みこんで来る。 ではまあ早速・・・・・・・ずるずると音を立てるのはここではまずいから、静かに食べ始めた。
 さっきまで静かに本を読んでいたこのフランス人夫婦(だと思う)が、何か話し出した。 「しまった」 僕らにとっては当たり前の臭いも、彼らにとっては悪臭以外の何者でもないかも知れない。 ここで食べるのはまずかったかと後悔して二人の方を見ると、何て言うか、不思議なものを見るような目でカップヌードルの方を見ている。 この時始めて、女の人が僕に話しかけて来たが、一つ解ったのは怒っているのでは無いって事だけ。 二人にすれば、まるで手品でも見たように感じたんだろう、そんな雰囲気が言葉から伝わって来る。

 腹ごしらえが出来た所で、さあ、車内探検の時間。
車内を歩いていると、6人ほどの東洋人がいるようだ。 それとなくお互いが声を掛け合い、知らぬ間に話の輪が出来て、その後もお互いのコンパートメントにお邪魔しながら情報交換なんかをする。 まるで修学旅行でもしているような気分で、これは楽しい。 

 右写真はル・ミストラルの土産物?車両だったかな。 
写真を撮って、写ってるおじさんと話したものの、何の車両だったかはもう覚えていない。 中央にあるのはカウンター。
外はもう真っ暗。