フランダースの犬

 どうやら今回の旅は天候に恵まれてないようだ。
雨こそ降ってはいないものの、ロンドンを発って以来ずっと分厚い雲が空を覆っている。 
ブルージュの古い街並みがとても気に入っているんだけれど、心はヴィアンデンの城に飛んでしまっている。 ここは、いったんこの街を離れて先にヴィアンデンの城を見ない事にはどうも心が落ち着かない。
「この衝動はいった何なんだろう?」 
まあ、帰りにもう一度この街に立ち寄ればいい。

 ちょっと遅めの朝食をホテルのレストランで摂り、娘にミルクを与えてから駅へと向かう。
ヴィアンデンへの行き方はまだ確認していないが、とりあえずルクセンブルグまで行き、今日はそこで一泊した後、ヴィアンデンに入るのが無理のない旅程だろう。 僕ら二人なら、またはホテルをちゃんと予約しているならこんなにまどろっこしい事はしないんだけどなあ。
 駅のチケット売り場でルクセンブルグまでのチケットを買うが、同じベルギー国内のブリュッセルまでの運賃がべらぼうに高い。 今回は短期間の旅なのでユーレイルパスなんぞ購入していないが、574BFって運賃を聞かされるとユーレイルパスや、ましてスチューデントレイルパス、インターレイルパスの安さを痛感する。
欧州には国ごと、そしてユーレイルのようなインターナショナルな割引制度があるので、これらを使うことも考えたが、学生列車(学割)だと半額になるのでわざわざこれらの割引切符やパスを買うまでもないだろうと考えていたんだけど、こうなるとどっちが安かったのか、ちょっと疑問に思えてきた。
 まあ、ここで迷っても仕方がない。
ルクセンブルグまでのチケットを2枚購入してホームに向かう。
予定では10:35ブルージュ発で、ブリュッセルには11:30着。 ここで乗り換えになるが、12:37に同地を経ち、今日の目的地であるルクセンブルグには15:25の到着予定。 雨でなければいいんだけど・・・・・。

 列車はこれからゲント、ブリュッセルなどフランドル地方の都市を駆け抜けていく。
フランドル地方と言えば、小さいころ観たモノクロの古い映画『フランダースの犬』が思い出される。 あれは小学生時代だったと思うが、学校の映画鑑賞の時間だったか、それとも家のTVで観たのか、その辺は定かではないが、とにかくとても古い映画だったと思う。
 この映画の内容にも感動したが、映画の中に出てくるフランドル地方の風景がとても印象的で、風車小屋が脳裏に残っていたことから、小学校のころはこの映画の舞台がオランダだと思っていた。 
 実際には、この物語の舞台はベルギーで、主人公ネロがいたのはアントワープの郊外の小さな村。 この旅行記を書いている今でこそ、ネロの住んでいた場所がホーボーケンって村ってことになっているが、これは1985年頃になって、日本人観光客の影響でベルギーの観光局があわててその場所探しをして仮定した場所だそうだ。 そして、ネロが最後にパトラッシュと共に観たルーベンスの祭壇画はアントワープのノートルダム大聖堂にある。
 この物語の作者マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメイ(ウィーダ)はイギリス人で、ベルギーの人ではない。
僕はてっきりベルギーの作家が書いた物語だと思っていたんだけど、そのことを知ったのはロンドンの英語学校の授業でだった。 そして、この物語、とても有名な作品だと思っていたら、その作品、学校の先生によればそうでもないというようなことを言っていた。 まして、ベルギーの人たちの間では殆ど知られていないようだ。
 まあ、この知られていない・・・・と言うのも、今では日本からの逆輸入ってことで、最近はある程度知られては来ていると言う。 その原因となったのは、日本で放映されていたアニュメ作品。 
 
 僕はこのアニュメ作品を見てはいないが、あのフランドル地方の風景と、ネロとパトラッシュが絵の前で死んでゆく姿がとても印象的だった。 
 中学のころだったか、僕が卒業したY高校の屋上に天文台が作られた。 小学校高学年から中学2年くらいにかけ、僕は天文少年で、天体望遠鏡を自作したこともあった。 当時の僕の夢は、丘の上に建つこの学校の天文台(ドーム)の中に入ることだった。 以来、いろんな夢を抱き、時には叶えられ、また時には挫折も経験してきた。 
 そんな経験をする度に、僕の頭にはいつも一つの問いかけが浮かび上がっては消えていく。
「ネロほど純粋に、一途に自分の夢を抱いたことがあったのか?」
 常に悲しいイメージが底流に流れ、一見悲惨なこの物語の結末が、僕には逆にとても明るいものに映ったことを覚えている。 その印象は今も何ら変わることなく僕の中には生きている、いやむしろ、ネロが羨ましくすら思えてくる。 
 ネロが星空を見たら、きっと宝石より遥かに目映く輝く星の姿を見ることが出来るのだろうなあ。
僕も、そんな星たちの姿を昔は見ることが出来たんだけれど、いつからだろうか? その輝きに曇りが感じられるようになったのは。 

 その気になればアントワープにちょっと立ち寄るか、一泊でもしてからルクセンブルグに向かうことも出来る。 ゲントで乗り換えればアントワープはすぐそこだ。 でも、今回はよそう。
 そう楽しみを一辺に何もかも掴んだのでは、これからの楽しみが無くなってしまう。
バギーの上ですやすや眠っている娘が大きくなってから、再び家内も連れて一緒にきたのでもいいじゃないか。 その時はみんなでルーベンスの絵を見よう。
今回の旅はヴィアンデンの城だけで十分。


ルクセンブルグ

ホテル探し

 一見教会のようなルクセンブルグ中央駅を出ると、今にも降り出しそうなどんよりとした空が僕らを迎えてくれた。 駅前のバス広場には観光局があるので、そこで安ホテルを紹介してもらうのが一番なのだが、幸いまだ雨は降っていない。 いつもの通り、ここは足で稼いで少しでも安くて気に入ったホテルを探すことにした。
 まずは駅近くのホテルから当たっていくが、朝食付きで900BF(\6,300程度)もする。
一般的に駅周辺は高いとも言われるけれど、実際に探してみると意外な穴場があって、これまでも結構安いホテルを見つける事が出来た。 今回は赤ちゃんを連れている事もあって、いつもよりは予算を見ているのでユースホステル並の安宿を探す必要も無いのだが、駅から北西に延びるリベルテ通りに沿ってホテル探ししながらぶらぶら歩く。 
 そうこうする内に辺りは薄暗くなり、僕たちの目前に大きな橋が現れた。
アドルフ橋だ・・・と言うことは、この先は旧市街に入る事になる。 旧市街にも勿論、ホテルはあるだろうけれど、帰って宿泊料は高くなるような気がしたので、再び駅の方に戻る事にする。 ちょっと落ち着きがなくなるが、ガヤガヤした商店街の中に意外に安い宿があることもある。

 すでに外灯が灯り、通り過ぎるレストランの中では人々が楽しそうに夕食を楽しんでいる。
そんな様子をまるで映画のシーンでも見るような感じで街中を安ホテルを求めて歩き回る。 明るい内はそんなこと考えないが、周囲が暗くなってきて、更に霧雨が舞い出すと、なんだか自分が『フランダースの犬』のネロにでもなったような気分になってくる。 
 まずいなあ、赤ちゃんに風邪を引かせると・・・・・バギーには雨避けのカバーも付けられるが、ここはさっさと宿を見つけて落ち着こう。 無意識に2人の足取りが速くなるのだが、通りかかる人、レストランで食事している人、誰彼と無く僕らの長女を見ると微笑みかけたり、何か話しかけて来たりと、そのたびに少し足を止めては短い会話を交わす。 そういえば、ブルージュでも、ここへの列車でも、そしてこの街でもまだ東洋人と出会っていない。 ルクセンブルグは東洋人が少ないのだろうか?

 やがて、1階がレストランバーになっているこじんまりしたホテルを見つけた。
ITALIA・・・・ホテル・イタリアってか。 レストランバーの雰囲気からして、そう安そうなホテルとも思えないが試しに中へ入って見る。 一泊、食事付(2人部屋2人分)700BF・・・・まあ、それなら当初の予定通りだが、毎度のことながら値引き交渉を始める。 キスリングザックを背負い、僕はギターケースをさげ、おまけに赤ん坊まで連れた3人組、しかも外はすでに暗く霧雨が舞っている。 そんな状況から気の毒に思ったのかどうかは分からないが、結局、一人600BFで赤ん坊は無料(ブルージュもそうだったが)、しかも朝食を付けてくれると言う。
 部屋に荷物を置くとまずは長女の夕食。
母乳で育ててはいるが、この旅では粉ミルクを併用しており、1階のレストランバーで湯を貰ってきて哺乳瓶で粉ミルクと混ぜて長女の夕食を作る。 すでに流動食も可能なので、ロンドンから持ってきた瓶詰めの流動食も食べさせる。
 僕たちが普段利用するホテルの場合、風呂やシャワー、トイレも共同が普通。
ところが、今回はシャワーとトイレが付いているからまるで天国だ。 TVが無いのは常識。
シャワーを浴びてさっぱりした後、昨日買い込んでおいたパンやチーズ、ジャムで僕たちも簡単な夕食。

 本当ならこれから夜の街中を散策したいところだけど、風が吹きだし小雨も降ってきたので、折角持ってきたギターの練習をすることにする。 わざわざこんな所に来てまでギターの練習も無いだろうけれど、僕はこの5月から東京のギター専門学校に入学することに決めていた。 そんなこともあって、今回の旅にあたり、 ギターと教本をわざわざ持ってきたのだ。

ルクセンブルグ大公国

 『兼高かおる世界の旅』 僕が小学校から中学にかけてだったか、毎日曜日の朝、この番組を夢中で見ていたもんだ。 この番組では世界の色んな物を見せて貰ったが、そんな中で、このルクセンブルグ大公国の紹介がとても印象に残っている。 と言っても、景色を覚えているのでは無く、この国の名前が印象に残っているのだ。
 印象に残っていると言うのに矛盾するようだが、この国についての知識は僕には殆ど無いと言ってよい。
せいぜいベネルクス三国の一国で何処にある国かってこと、それに、番組では立憲君主制の国と言っていたこと・・・・そうそう、立憲君主制の意味なんて当時分かる筈もないが・・・

 いずれにしても、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランスに囲まれたこんなに小さな国(九州の1/12程度)が、独立国として立派にやっていけるってことには感心する。 欧州には同じ立憲君主制の国としてリヒテンシュタインがあるけど、こちらは遙かに小さな国で、感覚的にはスイスかオーストリアの影に隠れてしまっている。
 ルクセンブルクも過去には様々な民族による闘争や大国の覇権主義に翻弄されただろうし、早くから永世中立国となりながらもドイツによる占領も経験している。 
 スイス同様、永世中立国でありながらその自国防衛に対する考え方は少し違うように思う。
今時、スイスが永世中立国家だからといって、無防備で平和への理想だけを頼りに成り立っている国だと思っている人はいないだろう。 高校時代の旅でも、家内との新婚旅行の旅でも、あの美しい国土にそれとなく隠された軍事施設、そして国民皆兵制を見て永世中立=戦争放棄では無いことを痛感したものだ。 永世中立は読んで字のごとく、何処にも組みしないと言う意味でしかない。 スイスの場合、自国の平和を脅かす国や力があれば国民総掛かりでこれを武力も交えて排除すると言うことでもあるように思う。
 自国防衛に対する考えが少し違うように思うと書いたのは、この国からはスイス程の軍事色を感じ取れないからだ。 僕が知っている限り、この国は海軍も空軍も持たない。 勿論、陸に囲まれたこんなに小さな国ではこれらを持っても意味がないとも言えるが、海が無くても海軍を持っている国があるし、空軍だって例えばへり部隊による展開ならこのサイズの国でも有効に使えるだろうから、その気になれば持ちたくなるのが信条だろう。 しかも、唯一の陸軍だって志願制であり、極僅かな人数しかいなかったと思う。
 
 ルクセンブルグ大公国という国、なんだか僕にはお伽の国と言うイメージしか沸いてこない。
もともと、言葉の響きだけでそのものの印象を勝手に作ってしまう性格なので、こういったイメージは偏見の塊のようなものだとは分かるんだけどね。 

散策


 どうやら雨は降ってないようだ。
ホテルのレストランで朝食をとりながら今日の予定を家内と話す。 本当は朝一番でヴィアンデンに向かう予定だったが、レストランのウエイトレスに聞いてみると目的地は相当寒いらしく、まだ雪が残っていると言う。 しかも、今はシーズンオフなので、ヴィアンデンのホテルはすべて閉まっている筈だと教えてくれた。
 「赤ちゃんを連れてるんだから、無理して今日ヴィアンデンに行くより、その手前のエッテルブルグで一泊してから明日にでも日帰りで行く方がいいよ。」とアドバイスしてくれた。 エッテルブルグはルクセンブルグから北に40km程の所で10BFで行けると言う。 ヴィアンデンはそこからバスで行くらしい。
 それなら急ぐことはない。 昨日と同じくらいにエッテルブルクに着けばいいんだから、この街を少し散策してからでもいい。 
 食事の後、ホテルをチェックアウトして出ようとしたらレセプションのおじさんが「もうヴィアンデンに向かうのか?」と聞いてきた。 どうやら、朝食の時ウエイトレスと話してたことをこのおじさんが彼女から聞いたようだ。 「もし、この街を観光するならその間荷物を預かるよ。」と言ってくれる。 ブルージュの事もあるので一瞬躊躇ったが、キスリングザックに、おっと、ギターは相当高価だが、まあ、コインロッカーに預けるにはちと大きすぎる。 ここは、お言葉に甘えよう。

 この街はペトリュス川を挟んで中央駅のある新市街と旧市街に分かれる。
また、地図を見てみると、大きく蛇行するアルゼット川がまるで半島のような形に旧市街を切り取り、ペトリュス川と合流する。 この半島のような地形はスイスのベルンに似ている。
 旧市街と新市街を結ぶ橋の一つが昨日見たアドルフ橋だ。 この橋を渡れば旧市街の西端に出るのでこのコースで旧市街に入ることにする。 アドルフ橋はペトリュス渓谷に架かる古い橋で、右手に憲法広場、その奥にノートルダム大聖堂が見える。 この橋を渡ればここは旧市街、ペトリュス川とアルゼット川に沿うように張り巡らされた城郭都市だ。 この街に限らず、ヨーロッパの街はどれも城郭都市が発達したものだ。 旧市街はせいぜい1平方キロ程度の城郭都市の名残りなので散策するには丁度よい広さだ。
 この狭い中に、憲法広場、ノートルダム大聖堂、宮殿、市庁舎やボックと呼ばれる中世の砲台跡などが点在する。 一つ一つ見ていたのでは時間がないので、気ままに街中を散策することにする。 地図で見れば地形や建物の配置がベルンに似てはいるが、雰囲気はずいぶんと違う。 何なんだろうなあ、この違いは・・・・なんだか、こっちの方がベルンより淡泊な印象、とでも言うか。 
憲法広場とノートルダム大聖堂
 
 アドルフ橋を渡ってから右の方に少し歩くと憲法広場のすぐ先にノートルダム大聖堂がある。 ノートルダム聖堂と言えば、パリとジュネーブで見たがこちらは同じゴシック様式でも外観はずいぶんとあっさりした建物だ。 ロンドンの旅行代理店でもらったパンフレットによれば、ルネッサンス様式も加わっているようだけど、何処がゴシックで何処がルネッサンスなのか・・・・僕にはさっぱり分からない。
 大聖堂には入らずそのままペトリュス川沿いに歩くと、岩を刳り抜いて造られたボック砲台跡に出る。 この通りはベルンで言えばマルクト通りってところかな。
 ボックと言うのはこの砲台のあるボックフェルゼンと呼ばれる丘(それとも山?)の事で、この砲台が出来たのは8世紀頃と言うから古い・・・・と待てよ、大砲の歴史ってそんなに古かったろうか? 13世紀なら分かるが、8世紀に大砲があったんだろうか? 
 出来た当初はまあ要塞だった物が、やがて岩盤を刳り抜いて砲台を設けたってことだろうなあ。 まあ、ローマ時代にすでに城郭化されてたとすれば、投擲機なんかを置いていたかも知れないけど、8世紀に大砲があって、しかも、こういった形の要塞砲的な発想は無かったんじゃないのかな。 実際、この砲台に置かれていた大砲はどう見ても17〜18世紀頃のものかイミテーション??

 旧市街をうろうろしてる内にとっくに昼を過ぎてしまった。
小さな公園で変わり映えのしない昼食(スーパーで買ったフランスパンにサラミを挟んだサンドイッチにコカコーラ)を済ませ、そろそろホテルに戻って荷物を受け取り、さあ、これからエテルブルグへ向かおうか。

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