クリスキット

オーディオマニアが頼りにする本

 家内に付き合って隣町の図書館へ出かけた時の事である。
電気関係のコーナーを見ていると、『オーディオマニアが頼りにする本』と言う文字が僕の目に入った。 始めて目にするオーディオ関連の書籍で、1巻から3巻まである。 普段、オーディオ誌などあまり見ない僕だが(パラパラと捲る程度には見るが)、家内が本を選んでいる間の時間潰しにちょうど良いと思い、その内の1巻を手に取った。 まず目次を見て、興味のありそうな頁を選んで軽く流し読みをしてみると、内容にどんどん吸い込まれて行く。 これは面白そうや。 早速その3冊を借りる事にする。
 普通、どの本を見ても良い音はオーディオ装置の価格にある程度比例するような事を書いてある。
僕があまりオーディオ誌を見ないのは、多くの雑誌で価格別に機種を紹介してあったり、さも高価な機種でなければ良い音が得られないように書かれている場合が多いことが理由の一つにある。 僕もある程度そのように思っていた訳だが、この本に書いてある事はそれとは正反対・・・・、お金を掛ければかけるほど、本当に良い音から遠ざかって行く。

 ホンマかいな?
本を読み進む内、多くの点で共感する事が書かれている。
トドメは「一体どう言う部品を使えばあのような高価な価格が導き出されるのか?」の一言だった。
電子部品そのものはどれもそう高い物ではない。 どんなに高級なアンプだってそのサイズはそう大きな物ではない。 その限られたスペースに詰まっている部品の価格なんて、一つ一つを見ればそれ程の物では無い筈だ。 例えば、特定の部品を一から開発したとして、その開発費を価格に含めたとしてもそう簡単に百万単位の価格なんて設定出来る物ではない。
 僕のもう一つの趣味である無線では無線機を使うが、例えば国産で最高級クラスの無線機でも価格はせいぜい40〜50万円辺りだし、高出力リニアアンプの価格にしてもそう簡単に百万を越える事はない。 ハイエンドオーディオ界では当たり前のように見かける数百万円のアンプなんて一体どう作ればそんな高価な物が出来るのか?この本の著者ならずとも??マークが並ぶのは当然の事だ。
 それまで当然のように思っていた事。
高い機械を使えばより良い音に出会えるという事が僕の頭の中から一気に崩れ去って行く。
勿論、実際にそうなのかどうかってことは僕の経験では推し量れない。 推し量れない事ではあるにも拘わらず、この本の内容は僕のそれまでのオーディオ感を突き崩すのに十分な説得力を持ったものだった。

クリスキットとの出会い

 ある日の夕方、僕はこの本に載っているクリス・コーポレーションという会社に電話してみることにした。
数回の呼び出し音の後、男性で軽く乾いた感じの声が受話器の奥から聞こえてきた。
簡単な自己紹介をしてから続ける。
「オーディオマニアが頼りにする本を読ませて頂いた者ですが、カタログをお送りいただけませんか?」
「今どんなセットつこうてますか?」
「アンプはマッキントッシュのC27にMC1105、スピーカーはタンノイのGRFです。 他は国産の安物ばっかりです。」
「あんた、『オーディオマニアが頼りにする本』読んだんでっしゃろ。」
「はい、1巻から3巻まで読ませてもらいました。」
「ほな、まずはプリアンプだけクリスキットに替えて聴いてみなはれって書いてましたやろ。 C27だったら、雲が晴れるみたいに綺麗にノイズが無くなりますわ。 80円切手を封筒に入れて、カタログ希望と書いて送ってくれたら送りまっさかい、注文方法を見て、プリアンプだけまず替えてみなはれ。」
 おっしゃる通り、切手を同封してクリスキットにカタログを申し込んだ。
数日でカタログは送られてきた。 クリスキットはその言葉通り、組み立てキットになっている。 いや、組み立てキットと言うよりパーツセットと言う方が的確だ。 僕は無線をやるので半田付け位は出来るが、これまでオーディオ機器など自作したことがない。 せいぜい無線で使うマイクアンプや周辺機器位のものか。(アンテナは結構作ったが・・・・・)
 クリスキットにはヘルパー制度というものがあって、このヘルパーさんにキットの組み立てを依頼出来るらしい。(勿論、有償だが、金額を見ると良心的な金額である。) 僕は迷わずヘルパーさんに組み立てを依頼することにして、そのことを申し込み用紙に書いてクリスコーポレーションへ申込用紙を返送した。


 やがて完成したプリアンプがヘルパーさんから送られてきた。
「軽い」 これが送られて来た箱を持った時の感想。
とにかく軽いのである。 幾らプリアンプとは言え、こんなに軽くてまともな音が出るのかちょっと心配になってきた。
早速、C27と入れ替えてクリスキットを繋いでみる。
スイッチを入れ・・・・・・おっと、C27の時はしっかり聞こえていたサーっていうノイズが全く聞こえなくなった。
 それまで、MC1105のボリュームを12時の位置で使っていたのだが、その理由は、これ以上右に回すとこのノイズが耳について話しにならなかったからだ。 所が、クリスキットのプリアンプだとこのボリュームを右に回しきっても全くノイズが聞こえない。 試しに、その状態でクリスキットのメインボリュームも右に回しきる。 おいおい、スピーカーに耳を付けてもノイズが聞こえないやおまへんか。
 まあ、最近のアンプはどれもS/Nはええから、この程度で驚いてたらあかんやろ。 早速音だしである。
なんて言うか、あれ、今までと違って随分とスッキリした音で、それまででも定位は良く感じていたんだけど、今まで以上に相当に音源が絞られた感じ、そう、その楽器の大きさで音が鳴っている。 随分自然な音だなあ。 目から鱗が落ちる程ではないにせよ、定価ではマッキントッシュの1割程度のクリスキットの音の方が僕には好感が持てる。
 
 この状態で約3ヶ月が過ぎた頃、僕はパワーアンプもクリスキットに交換することを決めた。
そうと決まればマッキントッシュに用はない。 早速手放すことに決めて、知り合いの方を介してC27とMC1105を手放してしまった。 中古の中古とは言えマッキントッシュである。 売った価格で楽にクリスキットのパワーアンプを2台買ってもまだ余りが十分にある。 
 早速、クリスコーポレーションに電話して社長である桝谷さんに買ってからの感想を述べ、今度はパワーアンプを買いたいと告げた。
「パワーアンプ替えても大きな改善は出来まへんわ。 それよりスピーカーを替えなはれ。 なんぼアンプをクリスキットに替えてもバスレフではホンマの低音は出やしまへん。 嘘や思たら、バスレフのポートを塞いで、箱の中にグラスウールを詰めてみなはれ・・・・いまよりよっぽど締まったええ低音が出ます。 ホンマなら16cm一発に替えてみなはれ言うとこやけど、そんな高いスピーカーこうた(買った)人はなかなか決心ようつけまへんやろ。」
「いやあ、でも僕はタンノイが気に入ってるので・・・・・」
「そりゃあんさん、ホンマニそのタンノイが好きで言うてまんのか? それとも、高いお金出してこうたスピーカーやからええ音すると思い込んでるんと違いまっか。 プリアンプ使うて良かった言うてくれはったけど、あのプリアンプの値段はC27の1/10でっせ。 タンノイをステータスで持ってたい言うなら話しは違いまっけどな。」
「いや、いい音が聴けるんならメーカーやブランドは関係ないですよ。」
「ほな、も一度じっくり考えてみなはれ。 ホンマに音楽を楽しみたいんやったらわての言葉を信じてみなはれ。」


クリス・コーポレーションとオーディオF.S.K

 確かにG.R.F.メモリーのウーファから出てくる音は、よく言えば大らか、悪く言えばだらしない、別の言い方をすれば締まりのない音と言えるかも知れない。 僕のオーディオルームのスピーカー設置部分の壁や天井を吸音壁にしたのは、そうする事で訳の分からない変な音をスッキリさせたかったからに他ならない。 実際、僕のオーディオルームに置いたメモリーの音は結構気に入っていたし、音を聴かせて欲しいと来られるオーディオマニアの方(タンノイを使っている)で、その後、僕がやっているようにスピーカー周りの環境を変えられた方もいる。 タンノイのバスレフにせよバックロード・ホーンにせよ、要は使い方だと僕は思っている。 それでコンサートの雰囲気を出せるなら、それで十分だと思っているのだ。
 ところが、僕は桝谷さんの言う言葉を信じてみたくなった。
もし、桝谷さんが例えば有名オーディオメーカーの社長さんであったら、幾ら説得されても「信じてみるか」って気にはならないだろうと思う。
 
 僕がまだ東京にいた頃、オーディオ・アクセサリーって雑誌で、オーディオFSKっていう会社の広告を読んだ事があった。
記事の内容が面白くて、それにその会社の所在地がそう遠くもなかった事もあって、その会社に出かけて見ることにした。 ところが、だ、近くまで行ってもその会社が見つからない。 散々探した挙げ句に見つけたのが、小さなオンボロアパート(大変失礼、でも敬意を込めてそう呼ばせて下さい。)だった。 いざ、その会社に入ってみると、そこは狭い、ほんと狭い部屋で、爺さんにちかいおじさんが一人、小さな机に座るともうそれで一杯になるような部屋にいた。 それも、股引にじっちゃん肌着姿・・・・。 膝をつき合わすように座って、色々話したが、その時、その社長(社員はこの人一人)が真っ先に僕に言った言葉が「あんたも楽士さんかい?」だった。 
 この言葉を聞いた瞬間、ある程度このおじさんの作る装置からの音が想像できた気がした。
目前にあるちっちゃなスピーカーから出てくる音、それは・・・・メーカー製の装置ではちょっと聴けないような、はるかに音楽らしい音楽だった。 僕はやれ高域がどうのとかと言った議論にはとんと興味がない。 要は、僕が知っている生の音にどれだけ近いか、それしかない。 
 どの世界でもそうだけど、あることを追求してきた人と話をするのは楽しい事だね。
どんなボロ屋でも、狭い社屋?でも、例え従業員がいなくとも、そんな事はあんまし関係ない。 出てくる音が全てを語ってくれる訳で、その音が自分の好みに合えば、それは自分にとって最高の再生装置って訳だ。 ただ、問題は値段が高すぎた事と、手作りなのでアンプとスピーカーだけでも今注文を受けて、作るのは3年後だと言われた。

 桝谷さんには、あの時のFSKのじいさん、いや、社長と同じ香りがしたのだ。
この人の言うことなら信じても後悔する事はないだろう、と言う、実に自分自身にも無責任な確信のようなものがそれまでの桝谷さんとの会話の中から生まれ始めていた。
 その根拠は? と聞かれると返事に困るが、一つは「大衆受けを狙っていない事」。 
つまり、まず売れることを考えて作るのでなく、自分の信じる事をやって来て、それをある信念のもとに頑なに守っている。 別に無理して買ってもらう必要もありませんと言う態度、それはある人には高慢に映るかも知れない。 しかし、それは別の見方をすれば揺るぎない自信の表れであり、その自信(努力を伴った)の継続が確固たる伝統に繋がると思うからかも知れない。 


16cm一発

 結局、クリスキットのエンクロージャー(スピーカーの箱)を買う事に決めた。
クリスキットのエンクロージャーには、容量が120リットルのSE−120と、200リットルのSE−200がある。
僕の場合、いずれマルチ・システムに発展させる事を考えているので、200リットルタイプのSE−200にする事にした。 これなら将来、30cmのウーファーを載せられる。
 そうと決まればタンノイを処分しなければならない。
タンノイをとっておくと言うのも選択肢だが、僕はオーディオ装置のコレクターでは無いし、予算面での余裕もある訳ではない。 ここはタンノイを売って、これからクリスキットを本格的に導入するための資金とする以外にない。
 早速、オーディオ雑誌の「売りたし」コーナーに応募。
全国から数件の問い合わせが入った。 売値の設定は単純なもので、今後、クリスキットでマルチ・システムを組むまでに要する金額から、マッキントッシュを売って得たお金(プリアンプ代は差し引いて)を引いた金額。 中古とはいえ、殆ど新品のようなユニットの価格にしては、市場価格より10万円は低かったが、損しなきゃええ。 それで、カワイイメモリーを可愛がってくれる人が増えるなら・・・・・。 抽選の結果、滋賀県の人に決まったが、その後、関東の方から15万円余分に出すから、自分に売って欲しいと言って来られた。 決まった人とは自分が交渉するとまで言われたが、どうもなあ、こういう態度って僕は好きになれないので丁重にお断りした。
 スピーカーに傷でも付けたらこれから買う人に申し訳ないって事と、遊びも兼ねて、僕の悪友と二人でこの大きなユニットを滋賀まで持って行き、わざわざ2階まで運び込んで設置までして来たんだから馬鹿もほどほどにって事か。 でも、これまで僕を十分に楽しませてくれたスピーカーなので、これ位の事はしてやらないと。

 オーディオルームが随分と殺風景になった所で、桝谷さんにSE−200とP−35Uの注文を出す。
エンクロージャーにはスピーカーユニットは含まれないので、桝谷さんご推薦のユニット(EAS-16F10)をコイズミ無線に発注した。 秋葉原にあるコイズミ無線は僕が東京にいた頃、アマチュア無線に使う材料の購入などで何度も行ったことがある。 数日後、コイズミ無線からスピーカーユニットが届き、それから暫くしてSE−200が届いた。
SE−200はキットなのでバラバラの状態で送られてくる。 これが又、大きくて重たい。 重たい筈だ、オーディオルームで梱包を解いて見ると、板の厚さが35mmもあり、相当に密度がある板なのか、板一枚を持ってもとても重い。
 どうせパワーアンプはまだ来ないので、今組み立てても音を出せる訳ではない。
週末にでも組み立てようと思っていたが、まてまて、1階のダイニング兼リビングにサブシステムがある。
サブで使っている、ソニーのプリメインをパワーアンプとして使えば音は出せる。 
 そうと決まればやる事は決まったも同然。
早速、オーディオルームの床に毛布と新聞紙を敷き、エンクロージャーの組み立て開始。
夕飯のお告げも何のその、組み立て開始。 
 バッフル板と言う、スピーカーユニットを取り付ける板と、その裏板、それに簡単なスピーカー台以外は全てダボで留める。 木工用のボンドを使いながら組み立て、ダボ以外は、けっこう長くて太い木工ビスで留めて行く。 一枚一枚の板が重い以外、組み立て自体はひじょうに簡単に出来る。 形が出来て後はバッフル板だけになった時点で、箱の中にグラスウールを詰めるが、これもキットには入っていない。 幸い、弟が大工で、この家を建て替えるときにグラスウールを一杯置いてったのがあるから、それをそのまま利用する。 最後に16cmのユニットを取り付け、スピーカーターミナルにスピーカーコードを繋いで終了。


 完成したスピーカーを見ると、SE−200の大きな図体に載った16cmユニットの小さなこと。(右写真は30cmユニットを載せてからのもの。) ちょっと不安にも感じたが、早速、下の部屋からアンプを持ってきて、Mark−8Dに繋ぎ、スピーカーコードもセットする。
 まずは、1本のスピーカーを中央に置き、プリアンプのバランスをそのスピーカー側一杯に回しきる。 そして、CDデッキにモノラル録音盤をセットしてスタートさせる。 ゆっくりメインボリュームを上げて行くと「なかなかいけますなあ」。
 初めての装置を聴く時、状況が許されれば僕は必ずこうする。
これは僕だけの錯覚かも知れないが、いい装置だとたとえ1本だけのスピーカーからでも、結構広がりと奥行きのある演奏が聴けるように思う。 1本で鳴らしたらノッペラボウで平たく聞こえる物は、僕の感覚の中ではもう×印なのだ。
 次に「ある貴神のための幻想曲」。
この曲のことは滞在記編で少し述べたが、この演奏でならギターとオケの両方が聴ける。
ギターの音は僕にとって一番分かり易いものだし、オケとの対比も出来る。 これで、おおよそのことは判定出来る。 思った以上にスピーカーの音が生々しくて、余韻もいい。 オケの方もこれで16cm一発?と思える程の鳴り方。
 続いて、スピーカーを本来の位置にセットし、ステレオ再生。
定位がかっちり決まるのは前のメモリーと同じだが、音の透明感や鮮度はこっちの方が良い。 勿論、テュッティーでの迫力感(あえてスケール感とは言わないでおこう。)はメモリーにマッキントッシュの組み合わせに劣るものの、僕はこのままでもこちらの方が音楽が楽しめそうだ。 さあて、P−35Uが来るのが楽しみになってきた。

 P−35Uがヘルパーさんから送られて来た。
一見、球管アンプかと見まがうようなデザインのP−35U。 
暫く使っていたソニーを下の場所に戻し、P−35Uをセットの中に入れる。
音出しからテストの方法は先に書いたのと同じ。 プリアンプやスピーカーを変えた時ほどの違いは感じないものの、こうして、装置全体を入れ替えた後の印象は前の装置と随分違ったものになった。
 やれ高域がどうの低域がどうのとか、そう言う比較には興味は無い。
前の装置と比べてどうかと言うことも勿論大切だとは思うが、何かの比較を行う場合、何らかの絶対的な(と言っても、これもいい加減なものだが。)基準になるものが無いと随分いい加減な比較になってしまう。 これが無いと、自分が何処に向かっているのか分からなくなってしまう恐れがある訳だ。
 いつもかつも相対比較だけやっていたのでは、一体自分が何処にいて、どこに行こうとしているのか、と言うことを見失ってしまう。 僕の場合、その基準を装置でなく、これまでの演奏経験や、実際に聴いたコンサートでの音にしている。 これとて、随分いい加減なものだけれど、「これは違うよ」ってこと位はなんとなく分かる。
 本当なら、いろんな評論で書かれているような例を挙げて、事細かに説明すれはいいのだろうけれど、残念ながら、僕はその手の文章を読むのも書くも興味がない。 いや、多分、言葉での表現力も無いと思うから、ここで言えることは、僕の決断は間違ってなかったってことだろうか。