ミラノ

 
湖畔の街ストレーザで二人の白人が下車した代わりに、一人の日本人が僕たちのコンパートメントにやって来た。 ちょっと小柄で背広姿、ちょっと大きめの旅行バッグを持っている。
「こんにちは、日本の方ですね。」とその人が僕に挨拶をする。
やっぱり一目で日本人やと分かるんやなあ。、と思いながら「こんにちは」と僕は返事する。 落語家のナントカに似てるなあ。
 この日本人と話していると、彼は会社員で仕事でスイスへ来たついでにこれから休暇でイタリアを旅すると言う。 ミラノではどこに泊まるかって話になって、僕は安宿か野宿のつもりだって言うと、良ければ彼が予約してあるホテルに来ないかと言う。 彼が言うには、彼の仕事仲間と二人でイタリア旅行をする予定が、その相棒が急用で日本に帰ってしまったので取ってあったツインルームからシングルへの変更をしないといけないが、そのシングルがあるかないかはホテルに行ってみなければ分からないと言う。
 話の中で僕が高校生だと言ったこともあってか「1500リラ出してくれればいいよ、僕は働いてるから。」と言ってくれる。 1500ならかなり安い・・・・・けど、ふと僕の脳裏にベルンでの出来事が浮かんできた。 「まさかなあ、そんな気のある人には見えへん。」 それに仮にも僕はクラブで柔道やってるから、万一の事があってもと、変な自信も手伝ってこの有り難い申し出を受ける事にした。 とにかく、僕の人を見る目を信じるしかない。

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8時半頃、レマノはミラノ中央駅のホームに滑り込んだ。 「チャオ」 同じコンパートメントのイタリア人達と別れを告げ、ホームに降り立つと何だかパリの東駅に戻ったような錯覚に陥る。 ホームにはまばらな人しかいなかったんだが、まるで博物館のようなこの駅のホールに出ると凄い人並みだ。 こんな人混みはパリでも見なかったし、心なしか人達の歩き方が忙しなく見える。 そうそう、まるでパリで何度か見たパトカーのようだ。
 彼が予約してあるホテルは駅のすぐ近くにあった。
チェックインして部屋に入ると結構いい部屋だ。 背負っている荷物を下ろしてカメラや財布をショルダーに入れて出かける準備をしていると「食事行きませんか」と彼が言う。 そうそう、ちょっと腹が減ってきたところだけれど、でもまともなレストランに入るような予算は無い・・・・と彼がそんな僕の心を察したのか「大丈夫、僕は働いてるからね、心配しなくっていいよ。 それにたまにはまともなもの食べないと折角の旅も楽しくないでしょ。」。
 ホテルの近くのレストランの席に着くとメニューが出てきたが、僕にはちんぷんかんぷん。 注文は彼に任せる事にした。 結局、ご馳走になったのはなんと、ほぼフルコースの食事だった。 生まれて初めて食べるフルコースの食事、いやいや、だいたいやね、テーブルの上に幾つものフォークやスプーンが並んでるレストランなどで食事なんぞしたことも無かったんだから、食事が出てくるたびに向かえに座っている彼が取るナイフやフォークを取って同じようにする。
 食事中、色々話したが、彼も大学時代は欧州旅行をするのが夢だったが学費やなんかを稼ぐためのバイトで結局夢は叶わなかった。 働きだして(銀行員だと言っていたが)ある程度余裕も出来た今、クビを覚悟で長期休暇の届けを会社に出した所、どういう訳か海外出張の命令が出て、仕事の後1週間だけ有給休暇が出たそうな。
僕がこの旅の為にバイトをして資金を作った事はレマノの中で話したが、彼はその話で学生時代の彼の思いがこみ上げて来たのだと言う。 結構高い夕食だったと思うが、彼が言った通り、食事代は彼が全部払ってくれた。
 本当の事を言うとこの食事が終わるまで、ひょっとしたら詐欺師じゃないかって思いが僕の頭の奥にはあった。 朝起きたら彼がいなくて、僕が宿泊料金を支払う羽目になるのではなんて思い、チェックインの時、彼が確かにパスポートを出して用紙にいろいろ記入している姿を確認したりもしていた。 ところが、学生時代の欧州旅行への思いを語る姿を見ていて、僕のそんな疑惑がどこかへ吹き飛んで行ってしまった。 万一、だまされて料金を払う羽目になったら、財布やなんやを取られたりでもしたら、それはそれで僕の人を見る目が無かった事だし、それで命が奪われる訳でもない。 いや、ちょっと違った経験が出来るかも知れない。 それはそれで、面白いかも知れない。 幸い、そんな不幸に見舞われても、僕にはそれを楽しめる若さと余裕(その程度の損害なら返ってからバイトで返せる。)がある。 そんな思いを強くしたのだ。

 食後、一旦部屋に戻り、地図と換金してあるリラだけ持って一人で街中に出た。
一旦中央駅に出て駅前を左に進路を取ってベノス・アイレス通りに出る。 交差点を右折してそのまま道沿いに進むと目的のドゥオモが見えてくる。 正面から見ると、まるで小山のように見えるこの最大のゴシック様式の教会は、同じゴシックでもパリのノートルダムやベルンのミュンスターと違ってすこし違和感を感じる。 サント・シャペルやミュンスターの方が美しいなあと言うのが第一印象。 残念ながらもう中には入れないらしい。
 この教会の前にはガレリア(ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリア)が見える。
百年以上前に立てられたこのアーケイドは凄い。
地面からアーケイドのガラス屋根まで何メートルあるんだろうか? この屋根を見ていて、ロンドンのクリスタル・パレス(万国博の時に作られた大型の温室)の絵を思い出した。
洲本の本町と神戸の元町アーケイドしか知らない僕にとって、これはもう驚異以外の何者でもない。
不思議なもんだ。 パリの凱旋門でも今しがた見たドゥオモでも、これらを見ておったまげたりはしなかたけれど、自分の普段の生活にあるアーケイドと簡単に比較できるこのガレリアの中に入ってみると、その凄さが実感として体感できる。 勿論、凱旋門やノートルダムも凄い筈なんだけど、たとえば凱旋門の高さは約50mで、ドゥオモの尖塔となると100mを越える等と知識では分かっているが、自身の生活の中で比較できる同じ代物が無いこともあって、実感としてその大きさをイメージ出来ない。 出来ないもんだから、想像しているより小さいなあなんて錯覚を起こしてしまうんだろうな。 
 ところが、このガレリアだと、僕が知っているアーケイド(比較する方がおかしいのかも知れないけど。)と比較出来る訳だから、本町や元町のそれとは実感として違いがまともに分かる。 美しさとかそんな事は別にして、単に圧倒されたと言う点では、この時が一番圧倒された時ではないか。
 
 
ホテルに帰ると、彼はガイドブックを見ながら明日の予定をたてている所だった。
彼の話だと明後日ベニスへ行き、そのままアドリア海沿いに旅するつもりらしい。 一般的にはイタリアの観光地と言えばアドリア海側より地中海側の方が多いように思うが、彼の興味はむしろその裏側にあるようだ。
 僕はと言えば、明日フィレンッエへ行って一日を過ごした後、出来るだけ遅い列車でローマに向かうつもり。 こうすればお金を使うことなく車中で一晩は快適に過ごせる。 と、そう考えていたのだが、ふとル・ミストラルの事が頭に浮かんだ。 ル・ミストラルはパリ〜ニースを走るTEEで、TEEとしては最も豪華な列車と言われていて、一度この列車に乗ってみたいとは前から思っていた。
 待てよ、ミラノからアヴィニヨン行きのTEE、リギュール号でマルセイユに行けば、パリから来たミストラルにニースまで乗れるぞ。 パリから来るミストラルがマルセイユに着くのは夕方の筈だが、ミラノからマルセイユならそんなに時間はかからない。 早速、再びホテルを出て中央駅のホームに向かう。 駅に表示されている時刻表からTEE Ligureの文字を探し、ミラノからのダイヤを見ると朝6:55発になっている。 そしてマルセイユには13:26着。 「行ける」と心に叫んだ瞬間、わざわざル・ミストラルに乗る為にマルセイユくんだりまで遠出する事に決定した。


ミラノ〜マルセイユ
リギュール号車内

 8月6日(月) 朝6時に起きた僕は荷物を整え、彼と一緒にホテルのフロントへ行ってチェックアウト。
彼がホテルのスタッフに会計の事を説明してくれ、僕は約束通り1500リラだけ支払って無事チェックアウト。 駅まで送ってくれると言うので一緒に中央駅まで行き、マルセイユまでの予約を入れようとリザベーションに行ったが、予約は要らないと言う。 その言葉を信じてホームで列車の入線を待っていると、レマノと同じ機関車に牽かれた、これもレマノと同じ外観の列車がホームに入ってきた。
 乗降タラップの下で彼と握手をして僕は列車に乗り込んだ。
レマノとは違うサロン車の適当な席に座る。 確かに予約は不要だと言う筈だ、発車前になっても席はがら空きの状態。 やがて6:55、発車の放送もベルの音もなく列車はゆっくり動き出した。 窓の外を見ると・・・・あれっ? ホテルに帰ったはずの彼がホームで手を振っている。 おいおい、今までホームで見送っていてくれたのかい。 あわてて僕も手を振り返す。 これからこの列車はジェノヴァ、サンレモ、モナコ、ニース、カンヌ、ツーロンと言った有名観光地を、地中海沿いに一気に駆け抜けていく。

 ジェノヴァを過ぎると列車は地中海沿岸、つまりリヴィエラ海岸を走る。
シンプロンを抜けた時に感じた、あのどんよりしたイメージはどっかへ吹き飛び、車内には燦々と陽が差して明るい感じがみなぎっている。 
 サンレモで結構乗客が乗ってきた。
僕の向かいの席には50〜60歳位の白人夫婦が座った。
僕が座っているのは地中海側の席で、席の窓からは海が見え、反対側の車窓、そこはまるで夕日を帯びたように赤い岩山の景色が続いている。 白壁に赤屋根の家々はなんだかマカロニ・ウエスタンの世界を想わせる。
 暫くは景色ばかり見ていたが、前に座っているおじさんおばさんと何か話したくなった。 と言って、僕は言葉が分からないし何かいい方法はと考えていたら、そうそう、僕は日本から持ってきた色紙を出して鶴を折り出す。
何が始まったのかと言う顔つきで見ているこの夫婦に、出来上がった鶴を見せると手を叩きながら喜んでくれた。 その鶴をプレゼントしてから、言葉が分からない同士いろいろな会話が始まった。
筆談って言葉があるけど、筆談ではなくてお互い絵や地図を書きながらの会話。 それによれば、この夫妻はアヴィニヨンに住んでいて、アフリカへハンティングに行った帰りだと言う。 その内、果物やチョコレートを出して僕にも食べないかと言ってくれる。 これは有り難い、なんせ朝食はまだだったんだから。  昼食の時、食堂車へ行かないかと誘われたが、これはとんでもない、僕にそんな余裕はないので断った。 お二人が戻った時、僕にフランスパンとチーズ、ジャムを持ってきてくれた。 「メルシーボック」僕にはこれで十分です。